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はぁ…

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受け入れるしかない事実…。

夜中のR246で、久々にモーサーズ発動。ドロップを握ってシッティングで突き進む…。

…2000年の9月、東京も南半球も暑い日。シドニー郊外を駆け抜けるのは、国別対抗のオリンピックながら普段のチームメイトのヴィノクロフクローデンを引く、ドイツの皇帝ヤン・ウルリッヒバルトリと、エースを勝たせたいベッティーニの、最強と謳われたイタリアンコンビの追撃は敵わず、むしろ差は大きく開いていく。チームでのメダル独占を決定付け、そして両手で喜びを表し単独でフィニッシュに向かうウルリッヒ…。

この日ばかりは頭を下げて、研究室の共有PCのF5を連打しまくった。テキストだけで吠えられるモーサーズ(妄想人)に育って良かったと思った。エスケープにもかかわらず3人の顔が見える画像は大のお気に入りだった。

自分がトライアスロンを始めたのは‘97、お師匠さんに組んでもらった初代鉄猿車がたまたまピナレロの廉価版だっただけで、よく知らないロードレースという競技でピナレロのツール7連覇を飾ったのが若きウルリッヒだっただけで、他の選手も知らなかったので、ファンになった。しかし、東ドイツ最後のスポーツエリート、バトルサイボーグ、驚異的な身体能力、若干23歳でのツール制覇、そして最強のオールラウンダー、興味を惹くには充分すぎる魅力だった。

部屋にポスターを貼って、数々の栄光を勝ち取ったTTポジションを食い入るように観察し、同じポジションを取るためにエルゴステムを付けた。流麗で美しく、しかし攻撃的なそのフォームでバイクに乗りたかったが、それでも同じフォームにどうしてもならず、手足の長さの違いが原因だと気付くのに半年かかった。’99世界選ITT優勝記念の5本線入りTAYOの真似をして、スクールカラーの青赤青のラインを入れたりもした。

今の自分のバイクは’04モデルで、パーツアッセンブルも相まって決して軽くは仕上がっていない。しかしこのバイクでウルリッヒはアルプスも越えたんだと思うと、遅いのに言い訳にはならない。

現実味溢れる人間臭いトコも好きだった。冬場に激太りする辺りはお手本にした。若くしてツールを制し、ヴェルタも制するものの、ツール総合2位は5回を数え、毎年のように「今度こそは」とファンの期待を掻き立てた。勝てるはず、強いはず、もう一度走るはず…。

開催期間中のドーピング騒動で揺れた‘98ツールは、「挫折から這い上がったパンターニが勝って良かった = 完璧なウルリッヒが勝たなくて良かった」と言われた。ケガで自暴自棄になってドラッグに走ったことも有った。恐らくその時のレッテルは剥がれることなく、昨年のツール開幕前日の排除劇がシロでも、世界は受け入れなかった。まだまだ言葉が足りず、事実や気持ちは分からないが、あのメットの縁から覗き込む鋭い眼差しはもう見ることはない。

2着目に買ったバイクジャージは、’97ドイツチャンピオンジャージレプリカだった。ハイテク素材ではない、一世代前のジャージ。これを着て「ツールごっこ」をすることはもうないかな…。

トラッ クバック

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コ メント

よくがんばったよ。。。
おつかれさま。

え?誰?俺??

今ならリシャの気持ちが半分くらいは分かる気がする。

バッソ  な僕でしたから、本当に残念です。

ぴょこっと帰ってきて欲しいですが、無理ですかね???


ふと気がついたらザベルのようにマイナーなチームリーダーで走ってるぅぅぅぅ?????って日を期待しています。

大仁田は両手じゃないと数えられないくらい引退→復帰を繰り返してるからねぇ…。

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